“マウンテン・チャリダー” 九州を行く

平成4年(1992年)2月23日から3月11日まで、マウンテンバイクで九州を旅した時の紀行文が見つかったので、ブログとして公開!

3月4日 天草五橋で熊本へ

3月4日(水) 曇のち雨

 

長崎へ行くか熊本へ行くか、昨日の遅くまで迷っていた。長崎へ行くとなると島原経由で熊本へ入るので、天草五橋は渡れない。長崎、島原へは以前に行ったことがある。やはり天草五橋を自転車で渡ることにしよう。

今日は風が気になる。自転車で坂を上るのが大変なことはもちろんだが、向かい風もかなりしんどい。途中、女の子を乗せたT君のマキシマに抜かれる。続いてW君の乗ったバスに。この旅行中、既にかなりの人に抜かされたな。しばらく走ると、天草五橋の4号橋を渡っているとW君が歩いているではないか。そうそう2~5橋を歩くと言っていたっけ。一声かけて抜いて行く。はじめて抜いたゼ。その後、阿蘇へ向かう彼の乗ったバスにどこで抜かされたかは分からない。

思いのほか早く熊本に着く。ところが雨。仕方がない。おとなしくYHへ向かう。3時半、YHに入る。

 

熊本市立YH:食事がどうも… .。食事が何より楽しみな自転車乗りにはもの足りません。特に朝食はおかずの少なさに思わず絶句。★★☆☆☆

 

本日の走行距離:911km 総走行距離:584km

3月3日 天草散策

1992年3月3日(火) 晴れ

 

今日も天草YHに泊まろう。YHで一緒になったS州大のT君のマキシマで、ユース仲間5人(1人は途中で別れて雲仙へ)と天草の西海岸を走ることになっている。どうも連泊癖がついてきたかな?

殉教公園、富岡城跡を見て下田温泉へ。100円で入れるのがうれしい。昼間からゆったり温泉に浸かっていると、何かとても賛沢をしているようで。でも気持ち良か~。

温泉から出ると、外の気温も上がっていてポカボカと陽気もいい。「何かうまいものでも食うべ。」と、寿司屋へ。たまにはいいものを食べなくっちゃ。

次は荒尾岳展望所。やや霞んではいるものの良い眺めだ。昼寝でもしたくなるような芝生もあるし。実際、H政大の“帽子の少年”ことW君は寝ていたし。

大江天主堂、崎津天主堂へ。大江天主堂そばの売店で、甘夏が4個でなんと100円。しかもこれがうまい。お得な買い物でした。

YHに戻って一休みしてから、タ陽を見ようと再び下田へ車を飛ばす。ビューン。厚い雲がかかって残念ながらタ陽は見られなかったものの、ここで俺達は人命救助!? 満潮になって岩場から戻れなくなった釣り人を、ユース仲間6人で工事用の木材の足場を運んで救出。たまにはいいことするネ。

YHに戻ると、調度一週間前に日南海岸YHで一緒だった。”750 Ninja”がいるではないか。こういう再会もうれしいものだ。

3月2日 熊本上陸

1992年3月2日(月) 曇

 

今日もロングサイクルだ。何とか天草の本渡まで行きたい。午前6時半スタート。

10時過ぎに阿久根に着く。朝、おにぎりを食べてはいたが、昨日の夕食がタ食だけにもう腹ペコだ。そば屋に入り皿そば定食を食べる。するとその店にどこかで見た親父の顔。アッ、都井岬で会った親父だ。確か、ダイという名の犬を連れて(この犬は途中で拾ったらしいが)車で日本を放浪していると言っていたっけ。こんな所で会うとは何という偶然だろう。

黒之瀬戸大橋を渡って、蔵之元港へは向かわずに北の諸浦港へ。こちらのフェリーは本数は少ないが、天草に渡ってからの走行距離は短くてすむ。2時40分までに諸浦港なら楽勝だと思っていたが、とこらがどっこい予想以上に長島のアップダウンはきつくて長い。2時に港に着く。フーッ。これで何とか本渡に着くな。

フェリーでの1時間は爆睡。ガーッ。

ついに熊本県に上陸。中田港から本渡までの道は比較的平坦。5時にYH着。結構自転車でも走れるもんだな。

 

天草YH:ここで特筆すべきことは何と言ってもペアレントさんのギャグ。※1 ここまでくだらないことを言うか、というほどのギャグを連発してくれる。俺は連泊しましたが、3連泊以上はきっと身体が持たないでしよう。くだらないギャクに対する免疫のない方、心臓の弱い方は御遠慮下さい。★★★☆☆

※1 このペアレントさんは2010年に亡くなられたようです。このギャクについても、このページに記載がありました。(2023年4月追記)

 

本日の走行距離:108km 総走行距離:493km

3月1日 どしゃ降りの移動日 吹上浜へ

1992年3月1日(日) どしゃ降り

 

なんと雨。考えてみると指宿には雨の中やって来て、雨の中去って行くことになる。晴れた中日は自転車に乗っていない。一人旅の敵はやはり雨。気分が減入る。自転車ならなおのこと。今日はひたすら移動日と割り切ろう。

途中から雨足が強くなる。ドバー!! 雨宿りをする。軒先には雨宿りをしている先客が2人。畑仕事のおじさんであろう。2人の会話が耳に入る。が、一言として分からない。部分的に分からないのではなく、単語さえ聞き取れないのだ。全く日本語には聞こえない。少し驚く。

再び走り始める。枕崎を過ぎて人家の無い低い峠にさしかかったところでまたまた雨が強くなる。今度は雨宿りする所もない。「おいおい、冗談だろ。」 レイン・ウェアを着ていても全身すぶ濡れ。こうなるともうやけ。「え~い、雨でも槍でも降って来い。」 それからは雨宿りすることもなくひたすら走る。4時半、YH着。なんと宿泊者は俺一人。食事提供のないYHで、しかも周りに定食屋さんはおろか食料を調達できる所が全くない。かろうじて。”食料コーナー”?と銘打って、カップラーメンなどの自動阪売機が近くに並んでいる程度。

てなわけで、俺の夕飯は途中で買ってきたパンとバナナ。寂しい。することもないので9時に布団へ。おやすみ。

 

吹き上け浜YH:御右衛門風呂に入れる。食事提供もないので、ただ寝に行ったという感じ。噂によると、朝は「蛍の光一がかかる中、日の丸を振りながら見送りをしてくれるとか。俺は早朝に出発したため未経験。★☆☆☆☆

 

本日の走行距離:88km 総走行距離:385km

終日雨だったため、写真は1枚もなかった...

 

2月29日 佐多岬で真の最南端を目指して

1992年2月29日(土) 晴れ

 

今日は自転車乗りはお休み。YHで一緒なったH政大のK君のCRXで、佐多岬までドライプ。これで一昨日のロングサイクルの疲れ(実際それほど疲れはなかったが。俺ってタフ?)もとれるだろう。

朝、たまやYHの前で同宿の仲間と

山川港からフェリーで大隅半島根占港へ渡る。ここから本土最南端の佐多岬を目指して南へひた走る。う~ん、自動車は速い。実に速い。自転車と比べるのがそもそも間違いなのだが、速い。

大泊から8.21kmのロードパークを含め佐多岬までのワインディングロードのアップダウンはかなりすごい。ロードパークから自転車が閉め出されているのは納得がいかないが※1、これを見ると自転車で来なくて良かったと思ってしまう。

※1 2012年に佐多岬ロードバークが町道として移管され、現在は無料で自転車も走ることができる。(2023年4月追記)https://cycletrip.jp/spot/detail/1000000053

 

北緯31度。カイロやニューオーリンズと緯度が等しいここでは、この時期でも晴れているとかなり暑い。どうやら20℃近くになっているらしい。

本土最南端 佐多岬

佐多岬到着後、K君と二人で真の最南端を目指して道なき道を行く。途中の岩場で俺は足を滑らせて転倒。腰をしたたか打つ。イテテテテ....。ひどい岩場でどうにも進めなくなって引き返す。売店のおばちゃんに聞いてみると、この時期は草木が生い茂ってしまって行けないのだそうだ。最初に聞いておけばコケずにすんだのに。この腰が明日以降に響かなければ良いが。

鹿屋の定食屋で昼を食べる。実は俺は一昨日もここで昼を食べている。こんな所で同じ定食屋に来るとはまさか思わなかった。

桜島港駅※2で、1日一緒だったK君と別れる
※2 現在は「桜島港駅」という表記はなくなっているようだ(2023年4月追記)

桜島まで車で送ってもらい、指宿枕崎線でYHに帰る。今日は一日良い休養になった。明日からまた走るで~。

2月28日 池田湖のイッシー

1992年2月28日 曇のち雨

 

桜島からフェリーで鹿児島へ渡る。15分に1本出ていて、しかも180円。実に手軽に使える。

桜島ユースホステルの前で同宿だった仲間と

桜島港フェリーターミナルの前(2023年4月現在、美容院がある所だと思われる...)

フェリーで鹿児島港へ

域山に上った後、西郷どんの銅像西鹿児島駅前※1若き薩摩の群像を見てから指宿へ向かう。途中雨が降り出しレイン・ウェアを着る。雨が降っていても昨日に比べれば移動距離が短い上に道が平坦なので非常に楽である。

※1 2004年に九州新幹線が部分開業するのに伴い、西鹿児島駅から鹿児島中央駅に駅名が変更された。

 

途中“イッシー”で有名な池田湖へ寄る。雨で観光客もほとんどいない。寂しい。

イッシーがいる(はずの)池田湖

売店のおばちゃんに道を聞く。俺が行こうとしている“グリーンピア指宿”※2経由の道を聞くと、「あーっ、その道は大儀だから止めとき。」と。

※2 グリーンピア指宿は、1985年に公的年金の積立金を利用して開業した大規模な保養施設。230億円を投じて450人が宿泊できる大浴場付きのホテルやテニスコート、ゴルフ練習場に観覧車などが整備された。しかし、バブル崩壊の影響で宿泊者が減少し、赤字が蓄積したことなどを理由に、2002年5月に営業を停止いた。(https://www.projectdesign.jp/201901/area-kagoshima/005845.php

 

この言葉をサッカー、バスケで鍛えた俺の体力への挑戦状と受け取って、迷わずこの道へ。その結果…、やつはり大儀じゃった! でも景色は良かったぞ。雨上がりの靄の中の開聞岳はまるで墨絵のよう。

やすらぎ公園の辺りから撮った写真と思われる

池田湖の向こうに開聞岳がうっすらと見えている

夕食時には“U子先輩”の音頭で、みんなで手を合わせて「いただきます!」。まるで小学校のときの給食だ。彼女もいいキャラクターをしている。

食後はYHの前の天然砂むし温泉へ。話の種に1回行く所であって、何度も行く所ではないかなというのが俺の正直な感想かな。YHで一緒になった仲間の中で一番最初に熱さに耐えられずに上がったのは俺でした。

みんな(これは主にN山大サイクリング部(同好会?)の男性陣を指しています)、痩せ我慢は良くないゼ。

 

圭屋YH:食事もよし。建物の作りも個人的に好きです。ペアレントさんはノート型パソコンを使って宿泊者数などを管理していて、パソコン談義に花が咲きました。 ここは連泊もしました。★★★☆☆

 

本日の走行距離:491km 総走行距離:297km

2月27日 鹿野でパンク!

1992年2月27日 またまた晴

 

今日は都井岬から一気に桜島へとロングサイクルの移動日。というわけで、まだ日の昇らぬ6時半にスタート。都井岬のある標高300mほどの丘陵から脱出。

7時過ぎに都井で缶ジュースを飲んで休んでいると、軽トラックが止まっておじさんが降りてくる。串間へ行くと言うと、東川に沿って海岸線に出て黒井川に沿って上る回り道を教えてくれる。これで都井峠※1を通らずにすむ! おまけに温かい缶コーヒーまで持たせてくれて、おじさんありがとう! !

※1 どこを「都井峠」と記載したのか定かではないが、状況からするとココの上り区間あたりだと思われる。

朝が早かったので、YHで作ってもらったお弁当を食べたと思われる。(正確な記憶なし...)

桜島まで走るには、昼までに鹿屋まで行く必要がある。11時半、鹿屋まで後10Km。何とか目標達成かと思ったそのとき、なんと後輪がバンク! ! 1時間のタイムロス。パンクをしたのがガソリンスタンドの前で、バケツ一杯の水がもらえてすぐにパンク箇所が見つかったのは不幸中の幸い。これが雨の中の誰もいない峠道だったら...。

大隅半島を横断して鹿児島湾に出ると遠くに開聞岳が。”薩摩富士”と呼ばれるだけあって、綺麗なコニーデ型の火山である。いずれすぐそばで眺められると思っていたが、今回開聞岳の全容を見たのは、このときが最初で最後であった。

遠くに桜島。この大きなザックを背負って旅をしていた。

220号を北上して行くと、煙吐く桜島がぐんぐん近づいてくる。西風なので灰の直撃はまぬがれたが、前日はすごかったようである。それでも自転車は灰だらけ。

有村溶岩展望所にて

最後の桜島でのアップダウンが予想以上にきつい。荒凉とした溶岩道路を苦しみながら走る。これで灰が降っていたらばたまったものではない。やっとの思いで桜島YH着。

日南海岸YHで一緒だったチャリドレス軍団も、都城経由でここまで来ていた。軍団の大将”U子先輩”が合流して、5人に増殖(失礼!)している。桜島へは東からのアプローチになるので、まともに灰をかぶって来たらしい。明日は指宿ということなので、また一緒になるようだ。そんなに俺のこと、気に入ったのかな?

 

桜島YH:ペアレントのおじさんが愛想が悪いと不評。確かに。風呂も途中で水しか出なくなってしまう。おばさんに言うと、となりの国民宿舎の温泉の割引券をくれるらしい。

 

本日の走行距離:115km 総走行距離:258km

※ 1992年当時は地図帳で測って距離を推定していた。以下は2023年にGPXデータを作成した結果の数字

本日の走行距離:111.1km 総走行距離:210.4km