“マウンテン・チャリダー” 九州を行く

平成4年(1992年)2月23日から3月11日まで、マウンテンバイクで九州を旅した時の紀行文が見つかったので、ブログとして公開!

2月26日 都井岬 猿そして馬

1992年2月26日 今日も快睛

 

YHで一緒だった750NinjaのR科大生と一緒にスタート。とは言ってもアッと言う間に置いて行かれたが。彼は屋久島へ行きたいと言っていた。

出発前にユースホステルの前で

今日もいい天気だ。日南のシーサイドラインを走ることをこの旅の大きな目的の一つとしていた俺は御満悦。走行予定距離も短いのでゆっくり走れる。

実に気持ちのよい海岸線である。そしてこの太陽がいい。あまりに気持ちが良いので、途中べンチで横になる。知らぬ間にZZZ...。

夫婦浦の近くで休憩中

大型車の音で目が覚める。ここはどこだ? そうそう旅行中でした。

文化猿?で有名な幸島に渡り野生猿と戯れる。30匹位の猿の中で人間が俺1匹。余り気持ちのいいものではない。中に1匹、俺に食って掛かる気の強い猿がいるので1時間ほどで退散。

幸島の猿と睨み合い

餌の貝 を探しているのか...?

数では圧倒的に不利

かなりきつい坂を都井岬へと上っていく。歯を食いしばって自転車をこぐ俺を横目に、野生の猿達は気持ち良さそうに毛づくろい。おまえら何もんじゃ~!

都井岬では今度は野生馬。なんとも長閑な所だ。

岬馬。自転車に興味があるのか寄ってきた。

たまたまここで一緒になった方と一緒に。確か勤続20年の休みで自転車旅をしていると言っていた。



都井岬YH黄金荘という旅館をYHとしている。設備、食事ともいまひとつ。★★★☆☆

 

本日の走行距離:59km 総走行距離:133Km

※ 1992年当時は地図帳で測って距離を推定していた。以下は2023年にGPXデータを作成した結果の数字

本日の走行距離:36.2km 総走行距離:99.3km

2月25日 南国情緒あふれる日南海岸を行く

1992年2月25日(火) 快晴

 

フェリーから遠くに宮崎が見える。今日は素晴らしい天気だ。東京とは空の青さが違う。朝10時、定刻に宮崎到着。早速自転車を組む。

初日が雨になることを恐れていた俺は、気持ち良くスタート。しばらくして港にチェーンロックを忘れたことに気づく。しまった! 港まで引き返す。まあ、天気がいいからいいか。忘れ物と天気とは何の関係もないが、晴天というものは気持ちをおおらかにしてくれる。特に一人旅のときは、お天道様が大切なパートナー。

早くも菜の花はもちろん、たくさんの花が咲いているのに驚く。さすが南国宮崎。フェニックス(南国の写真によくあるあのヤシ科の植物)でトロピカルムードあふれる220号のシーサイドラインをひたすら南下。途中青島でパイナップルを食べる。実にjuicyで、渇いた喉を潤してくれる。100円なり。

青島を背景に。このGIANTの重たいマウンテンバイクで旅をしていた。

堀切峠。1980年には堀切トンネルはできていたが、トンネルを回避して海岸沿いを行ったのだろう。

途中のサボテン園で、N山大のチャリダー(女の子だからチャリドレスか?)4人組に会う。彼女達もユースホステル(YH)までだという。サイクリングでは先輩方なので一緒に連れて行ってもらおうかとも思ったが、ペースが合わないのでお先に失礼。

伊比井(いびい)海岸

YH直前のトンネル迂回路の坂が少々きついが、無事にYH到着。

YHのある猪崎鼻(いざきばな)から撮ったと思われる夕陽

フェニックスは宮崎県の木



日南海岸YH:夕食はなんと焼き肉。手作りアイスに手作りパンまで出してくれる。宿泊者が7名と少なかったので、みんなでこたつを囲んで雑談。雰囲気は最高でした。★★★★☆

 

本日の走行距離:54km 総走行距離:74km

※ 1992年当時は地図帳で測って距離を推定していた。以下は2023年にGPXデータを作成した結果の数字

本日の走行距離:63.1km 総走行距離:63.1km

2月24日 大阪南港から宮崎へ

1992年2月24日(月) 曇ときどき雨

 

午前9時30分、大阪駅に着く。宮崎行きのフェリーは午後5時半に大阪南港発なので時間はたっぷりある。旅行のたびに京都、大阪に寄ることは多かったが、余りゆっくりと回ったことはない。この機会にのんびりと大阪の街でも見るかとマウンテンバイクを輪行袋から取り出し、組み立てる。雨が少し気になったが、大阪の街へペダルをこぎだす。

大阪城を見た後、心斎橋戎橋を通って、道頓堀へ。ここは以前にも来たことがあるが、いかにも大阪という所だ。「かに道楽」、「えび道楽」、「くいだおれ」、「づぼらや」と、強烈に自己主張をする看板を掲げる店が並ぶ。さすが、阪神タイガース優勝のときにケンタッキーのカーネルサンダース人形を見て、「お~っ、こんなところにバースがおるで~。」と言って、胴上げした後に人形を道頓堀川に投げ捨ててしまった街だ、と妙に感心してしまう。

これは「づぼらや」が閉店する少し前の2020年8月30日に撮影したもの

南港で自転車を再び輪行袋にしまう。こうして手荷物にすれば、千円安くなる。少しの手間も千円には代えられない。

宮崎に向かうフェリーは予想以上に揺れる。船員さんに聞くところによると、これだけ揺れるフェリーに乗れるのはあまりないとのこと。喜ぶべきことなのか? フェリーの風呂に入るが、あまりに揺れてまるで海にいるようで全く落ち着かない。そそくさと風呂から上がる。南港で一緒になった宮崎に帰省する大阪の学生は、多少酔ったようで苦しそう。作りの単純な俺はそんな心配御無用。心地よい揺れに誘われるように眠りに落ちる。

 

本日の走行距離:20km 総走行距離:20km

2月23日 東京駅から出発

1992年2月23日(日) 晴れ

 

午後10時過ぎ、東京駅の7番線に立つ。ここで大垣行きの普通電車を待つのは何度目のことであろう。こうして旅に出るのも今回が最後かも知れない。

これはブログ「ごっさん居眠り中」の写真

考えてみると4年間の学生時代にずいぶんと旅行をしたものだ。中学、高校と休みのときもひたすらボールを蹴っていた俺が、ふとしたきっかけでカナダ人の友人と北海道へ行ったのもやがて4年前。それ以来、能登半島、飛騨高山、紀伊半島四国地方、中国地方、そしてカナダと、休みのたびに旅行へ出た。

たくさんの人と景色に出会えた旅。多くのことを教え、考えさせてくれた旅。今度はどんな旅が待っているのだろう。そんなことを考えながら、眠りに吸い込まれる。