“マウンテン・チャリダー” 九州を行く

平成4年(1992年)2月23日から3月11日まで、マウンテンバイクで九州を旅した時の紀行文が見つかったので、ブログとして公開!

2月27日 鹿野でパンク!

1992年2月27日 またまた晴

 

今日は都井岬から一気に桜島へとロングサイクルの移動日。というわけで、まだ日の昇らぬ6時半にスタート。都井岬のある標高300mほどの丘陵から脱出。

7時過ぎに都井で缶ジュースを飲んで休んでいると、軽トラックが止まっておじさんが降りてくる。串間へ行くと言うと、東川に沿って海岸線に出て黒井川に沿って上る回り道を教えてくれる。これで都井峠※1を通らずにすむ! おまけに温かい缶コーヒーまで持たせてくれて、おじさんありがとう! !

※1 どこを「都井峠」と記載したのか定かではないが、状況からするとココの上り区間あたりだと思われる。

朝が早かったので、YHで作ってもらったお弁当を食べたと思われる。(正確な記憶なし...)

桜島まで走るには、昼までに鹿屋まで行く必要がある。11時半、鹿屋まで後10Km。何とか目標達成かと思ったそのとき、なんと後輪がバンク! ! 1時間のタイムロス。パンクをしたのがガソリンスタンドの前で、バケツ一杯の水がもらえてすぐにパンク箇所が見つかったのは不幸中の幸い。これが雨の中の誰もいない峠道だったら...。

大隅半島を横断して鹿児島湾に出ると遠くに開聞岳が。”薩摩富士”と呼ばれるだけあって、綺麗なコニーデ型の火山である。いずれすぐそばで眺められると思っていたが、今回開聞岳の全容を見たのは、このときが最初で最後であった。

遠くに桜島。この大きなザックを背負って旅をしていた。

220号を北上して行くと、煙吐く桜島がぐんぐん近づいてくる。西風なので灰の直撃はまぬがれたが、前日はすごかったようである。それでも自転車は灰だらけ。

有村溶岩展望所にて

最後の桜島でのアップダウンが予想以上にきつい。荒凉とした溶岩道路を苦しみながら走る。これで灰が降っていたらばたまったものではない。やっとの思いで桜島YH着。

日南海岸YHで一緒だったチャリドレス軍団も、都城経由でここまで来ていた。軍団の大将”U子先輩”が合流して、5人に増殖(失礼!)している。桜島へは東からのアプローチになるので、まともに灰をかぶって来たらしい。明日は指宿ということなので、また一緒になるようだ。そんなに俺のこと、気に入ったのかな?

 

桜島YH:ペアレントのおじさんが愛想が悪いと不評。確かに。風呂も途中で水しか出なくなってしまう。おばさんに言うと、となりの国民宿舎の温泉の割引券をくれるらしい。

 

本日の走行距離:115km 総走行距離:258km

※ 1992年当時は地図帳で測って距離を推定していた。以下は2023年にGPXデータを作成した結果の数字

本日の走行距離:111.1km 総走行距離:210.4km