“マウンテン・チャリダー” 九州を行く

平成4年(1992年)2月23日から3月11日まで、マウンテンバイクで九州を旅した時の紀行文が見つかったので、ブログとして公開!

3月10日 旅の終わり

1992年3月10日(火) 快晴

 

ついに帰らねばならない。電車に揺られながら車窓から外を眺める。海がきれいだ。

 

俺の旅が終わる。俺の学生時代が終わる。

 

本当にたくさんの人と出会った。その人の顔が浮かぶ。その人との会話が聞こえてくる。

とても楽しかったよ。みんな、ありがとう。

3月8日 フェリーで松山へ

1992年3月9日(月) 曇ときどき雨

 

今日は港まで走って自転車をたたむ。本当にあっという間にここまで来てしまった。

フェリーで四国の八幡浜へ渡る。わざわざ四国へ渡るのは松山YHに再び泊りたいからだ。2年前に四国を旅行をしたときに立ち寄りその豪華さに驚いたものだ。

3時半。松山に着く。2年前は駅からYHまで歩いた記憶がある。5kmくらいは歩いたのだろうか。今回は自転車だ。そう思いながら自転車を組んでいると、また雨がポツリ、ポツリ。雨の中を走るのは気にならないが、濡れた自転車をたたむのが面倒だ。不精をして路面電車を使おう。

道後温泉駅からYHまでのわずかな道のりも、自転車を担いでいるとかなり大変だ。ふ~っ。やっとYHの黄色い建物が見えた。到着。

 

松山YH:全国でも3本の指には入る超豪華YH。設備、食事共に文句なし。ペアレントさんが超能力開発と称するワークショップを毎晩やっていて(有料)スプーン曲けを体験してきました。★★★★☆

 

本日の走行距離:7km 総走行距離:810km

3月8日 湯布院へ

3月8日(日) 曇

 

今日は別府までだ。牧戸峠と湯布院から挟霧台までの2ヶ所のきつい上りをクリアすれば、後はただ別府まで下ればよい。

牧戸峠(何と雪が残っていた)でH大サイクリングクラブのY島君と一緒になり、共に走ることになる。2人で走るのもなかなか面白いものだ。かなりいいペースで走り続け、 どうやら昼頃には湯布院に着きそうだ。

湯布院町に入る辺りで広島のY本君も加わり、3人で走ることになる。しかもみんなマウンテンバイク。これもまた珍しい。マウンテンバイクと共に、みんなで記念撮影。カシャッ。Y本君も別府YHへ行くようなので今日は1人で走ることはなさそうだ。

湯布院で3人で食事をしてから、挟霧台へと上りだす。それほど苦労せずに上りきる。さあ、後は一気に別府の地獄の底へ落ちて行けばよい。ダーーーッ。YH着。

荷物を置いて温泉へ。お薦めは保養センター。入湯料1000円分の価値はあると思うな。混浴の露天風呂もあるし。面白いのは泥湯。泥の冷泉で、湯の比重が大きいので何かにつかまって肩を沈めようとしないと、体が浮いてしまう。これは非常に不思議な感覚であった。

 

別府YH:ここも居心地の良いYHでした。食事もよし。岩風呂温泉があるということですが、YHの風呂には入らなかったのでコメントできません。★★★☆☆

 

本日の走行距離:65km 総走行距離:803km

3月7日 阿蘇山ふたたび

1992年3月7日(土) 久しぶりの快晴

 

やった、晴れだ! 晴れるまで阿蘇に何泊でもしてやろうと思っていたので、2日目にしてこの天気で感謝、感謝。

再び阿蘇登山道路を自転車で登っていく。料金所で止められる。150円? アレッ? 昨日は払っていないそ。そうだ、大型の観光バスが2台止まっているときに、左側をすり抜けてしまったのだ。悪気はなかったんです。ごめんなさい。

昨日に続き杵島岳山頂へ。遊歩道工事をしているおじさんが声をかけてくる。「おっ。また登って来たな。今日はいい天気だそ。」 昨日登ったときに挨拶をしたのを覚えていてくれたらしい。もっとも一度見たら忘れないような派手な格好をしていたのだが。

杵島岳山頂。まさに絶景。これを見ずして阿蘇を去ることなかれ。眼下に草千里。目前に中岳火口。そしてぐるりと阿蘇の外輪山。巨大なカルデラのド真ん中にいることが良く分かる。北には久住の連山が。そしてはるか西には雲仙も見える。これだけスケールの大きな景色は、日本中を探しても他にはないのではなかろうか。やはり来て良かった。この旅行のハイライトかな。

阿蘇登山道路を今度は赤水の方へ下りていく。途中、つみたての苺を試食。うまい~!! そして4パック 1,000円という安さ。買いたくても荷物が積めないチャリダーには無理。鮮度が落ちるので郵送もできないそうだ。残念。

二重ノ峠を上ってミルクロードへ行こう。坂の下(地名です)まで来てア然。これでは”坂の下”ではなく”崖の下”だ。とにかくすごい葛折が目の前にある。腹をくくって上り出す。途中どうにもならず、押したりしながらも30分かからずに征服。

上ってしまえば、後は外輪山に沿ったミルクロードを気持ち良く走れば良い。牧場の間を緩やかなアップダウンでつなぐこの農道を走っていると、あの広大な北海道を思い出す。こんな景色にここで出会えるとは思ってもいなかった。

大観望からの眺めも素晴らしいが、俺は「かぶと岩展望所」からの眺めの方が良かったな。人も少ないしとても気持ちが落ち着く。のんびりしたいところだが、日が暮れては一大事。先を急ごう。

何蘇観光牧場でしぼりたてのミルクを飲む。100円。

いよいよやまなみハイウェイに入る。途中、窓を全開にした車が俺を抜かしながら叫ぶ。「頑張れ~!」あいよっ。頑張ってますよ。

 

瀬の本高原YH:とてもきれいなYHです。アプローチが悪いためJRer(JRで旅をする人)は利用しにくいですが、車、バイク、自転車の人は是非寄ってみて下さい。ペアレントさん(何と一人でやっています)が作ってくれたチーズ入りカツは最高でした。また黒川温泉にも連れて行ってもらえます。これからどんどん良くなって欲しいという希望もこめて、★★★★☆

 

本日の走行距離:66km 総走行距離:738km

3月6日 阿蘇登山

1992年3月6日(金) 曇ときどき晴のち、なんとみぞれ


いよいよ阿蘇登山である。バスで登ってしまおうかなとも考えたが、こまで俺を運んでくれた我がマウンテン・バイク「てっちゃん」(イントネーションは後ろで、関西弁風に発音して下さい。)を置いて行くのは気が引ける。やはりこいつにも阿蘇の火口を見せてやろう。

阿蘇登山道路をひたすら登る。最初に少し陽が射した程度で、途中からはずっとガスの中。展望も何もあったものではない。

YHのペアレントさん一押しの杵島岳に登る。視界ゼロ。しかもむっちゃ寒い。手がかじかんでしまう。本当に3月なのだろうか。一週間前のあの暑い宮崎、鹿児島が嘘のよう。阿蘇の気温はだいたい札幌と同じだそうなので、こんなものなのかもしれない。しかし寒い。早く下りよう。

草千里でマウンテン・バイクを乗り回して遊ぶ。もしかしたらこんな所に自転車を入れてはいけなかったのかな。この時期は緑の草がないので、ペアレントさんの言った通り、馬糞だらけのただの”くそ千里”である。

11時、火口に到着。「てっちゃん」と一緒に記念撮影。今回の旅行では、ただでさえ荷物が重いのに三脚も担いでいる。自ら演出、自ら主演の傑作写真がたくさん撮れていることだろう。

砂千里を中岳の手前まで歩く。ここも人が少なくて良い。ここもペアレントさんお薦めの場所の一つである。

寒いはずだ。みそれが降ってきた。そろそろ引き上げよう。帰りはひたすら下れば良い。ペダルをこぐ必要も全くない。が、寒い。防寒のために上下レイン・ウェアを着て、軍手も何と3枚して。それでも寒い。スピードでも出そうものなら、もうたまったものではない。おまけにみそれが顔にバチバチ当たって痛い。アタタタタタタ!

米塚付近まで下りてくると、もうそんなに寒くはない。みそれもやんでいる。米塚に登ってからYHへ。また連泊だ。

 

本日の走行距離:8km 総走行距離:672km

3月5日 どしゃ降りの中、阿蘇へ

1992年3月5日(木) 雨じゃー

 

熊本市内を少し見て回ろうと思っていたが、この雨ではそんな気力も失せてしまった。 今日も移動日と割り切って阿蘇へ向かうか。

57号をひたすら東へ。思ったよりも道の傾斜がきつくないな。これなら今日は楽勝か、 と思えたのも最初だけ。どこまでもダラダラと続く登り坂はいやなものである。少しずつ上っていくとだんだん気温は下がり、風も強くなる。ヘレン・ケラーもびっくりの雨、風、寒さの三重苦である。

苦しみながらも午後2時半には阿蘇の駅に着く。ここまで来ればもうYHは目と鼻の先。駅舎で一休み。暖房の効いた駅舎の居心地のいいことと言ったらばこの上ない。友達に絵葉書を書いている内に、すっかりお尻に根が生えてしまって動く気がしない。ましてやせっかく体が乾いたのに、雨の中に自転車をこぎだす気がしない。結局、自転車を駅に置いたままYHまでの11km少しを傘をさして歩く。YHに屋根付きの自転車置き場がないので、これで正解かも知れない。

 

阿蘇YH:何と言っても、ペアレントのおじいちゃんのミーティング(要するに阿蘇の観光案内)がいい。九州中のYHでこの噂は聞きます。阿蘇に登ってからここに泊まるのではなく、このミーティングを聞いてから阿蘇に登ることを強くお薦めします。晴れるまでここで連泊できるくらい日程に余裕を持たせるといいでしょう。食事はYH前の食堂で取ることになります。ご飯のおかわりは3膳目から有料になるようです。私のようにおかわりをしない人に頼んで3膳目を食べるという悪いことはしないように。★★★☆☆

 

本日の走行距離:50km 総走行距離:634km